<和の心>峯風庵

現代に生きるお茶=峯風庵のお茶 雑感

◆峯風庵にはお茶の原点がありました。

ビルの三階 ドアをあけると、露地、蹲、腰掛待合、屋根まで作りこまれた本格的な四畳半茶室。

400年前の茶人たちが市中の山居を求めて、侘びた茶室を作り、その佇まいの中で道を求めた、同じ精神が宿っていました。

小間ならではのにじり口をくぐり、和敬清寂の世界の中で、作り出される一期一会。

現代の大寄せの茶会や茶事では失われてしまった、お茶の魅力の原点を見つけていただける時空を展開していました。

現代に生きるお茶は、本を正すことから始まります。

私のお茶は、ここ、峯風庵が大きな転機でした。

◆茶人としての生き方

彗星の研究家 木内 鶴彦さんに教えられました。地球の生物は、皆同じDNAからつくり出されていて、人間は、あらゆる生物のバランスを取り、この美しい地球環境を守るために、最後に作り出されていると。

そのための考え方や手法が全て、お茶の点前やお茶のおもてなしの心に潜んでいました。

自然に感謝し、人と共にあり、人やモノを生かし、真・善・美を探究し、日々精進する茶人の生活こそ、人にふさわしい、また未来に繋がる生き方であると、その時、茶の道に惹かれる理由がわかったような気がしました。

千 利休さんは、空海や親鸞という宗教家、カントやデカルトという哲学家と同じくらい、偉大な方だったのだと、再発見しています。

◆創造性のある、力強いお茶

お茶の魅力のひとつに創造性と想像性があります。

その日のお客様のために、亭主が作り出すおもてなしの世界は、その亭主ならではもの。人生や生き様が現れ、感性やセンスで創造された世界を、お客は五感六感をもって楽しみます。亭主の思いに心めぐらせる、そんな気持ちと想像力が不可欠です。

茶道は、生き方であり、心を育てる素晴らしい教育プログラムでもあります。

単なる習いごとや趣味に終ることなく、人間として、より高みを目指し、そして、よりよい社会環境やサスティナブルな地球環境を作り出してゆける茶人を目指す、そんなテーマをも包括した力強いお茶の世界を、提唱してゆきたいと不遜にも思っています。

◆お茶を楽しむ、お茶を始める。まずは茶事から始めましょう

お茶をしませんかとお誘いすると、3歩ほど後ずさりしてしまわれる方が多くて苦笑しています。

いつの時代からか、堅苦しい行儀作法や、ややこしい点前を学ぶ稽古茶がお茶の主流になってきているのが残念でなりません。

流派に入門して、点前の割り稽古をすることだけが、お茶を始めることではないと思います。お茶への入り口はたくさんあります。禅、建築、工芸、自然、食などなど、何処からでも入れます。お茶のお客さんだけなら、いつでも何方でも、すぐできます。

お茶の本来の姿=茶事を体験してもらうことが一番のお茶への近道だと考えています。とにかく、体験してみてください。今までのお茶のイメージが変わり、お茶ってこんなに楽しいことだったのと、思われるはずです。

◆茶事ってなあに?
茶事はお茶の本来のおもてなしです。普段のお茶の稽古は、この茶事をするための割り稽古です。現代では、茶事をする方が少なくなり、お茶の心が伝わりにくくなっているように思います。
茶事では、待合から露地にすすみ、蹲を使って席入り、主客の挨拶の後、懐石料理とお酒をお楽しみいただき、お茶の湯を沸かすための炭手前、主菓子、いったん退出して腰掛待合へ、再度蹲を使って席入りして、儀式のお茶=濃茶を。炭を直して、薄茶と干菓子で和みます。約4時間のお茶のおもてなしを通じて、人として生きる道を探ります。この茶事を多くの方々に味わっていただくための普及活動が、峯風庵の使命だと思っています。
茶事の魅力

◆庵主は巷の茶人です

お茶をしていると言うと、先ず流派は茶歴はと聞かれることが多いですが、もともとお茶は一つであり、お茶の道はそれぞれに極めてゆくべきものでした。素晴らしい茶人に出会えば教えを乞い、流れる水も咲く花もすべて、茶の師です。

峯風庵のお茶は、流派や茶歴にはこだわらず、また、社中の稽古茶に留まらず、茶人同士のお付き合い(茶人生活)を深めてゆく場にしたいと思っています。

庵主は一応、某流派のお茶を学んでおりましたが、たいそうな肩書きもなく、日々の精進の中から、自身のお茶を見つけ出しています。
人はそれを、「森ワールド」と呼んで楽しんでくださっているようです。

こんな峯風庵ですが、よろしくお付き合いください。

* 谷町の峯風庵は2009年4月に閉鎖しましたが、峯風庵という名前と心はこれからも受け継いでゆく所存です。